Wednesday, August 24, 2011

夏を惜しみつつ食べるイタリアン・アイス:タルトゥーフォ/Tartufo

Tartufo


8月も後半になり、ゆっくりとではあるが確実に日が短くなってくると、なぜこうも気持ちがソワソワし始めるのであろうか。カナダでは、ノースリーブの服が活躍する時期はあっという間に終わる。自転車で走りまわれる時期も長くはない。そんな短いカナダの夏を惜しむかのように、夕食後から日没までの間、そぞろ歩きにでかける人たちも少なくない。歩くだけでは物足りない人たちのように、私もそぞろ歩きにアイスクリームを組み合わせることがある。

イタリア系人口の多いトロント市内には、伝説的なジェラテリアが何軒もあり、今の時期、夕方の込み具合といったら半端じゃない。あのフレッシュなイタリアン・ジェラートの味を知ると、アメリカのアイスが欺瞞に思えてくる。アイスの発祥地イタリアのアイスとしては、もうひとつ有名なボール型のタルトゥーフォがある。

タルトゥーフォ。まずは、この単語をイタリア人が言うように発音してみようではないか。「タル」の部分はリズミカルなスタッカートで、「トゥー」はちょっとやりすぎかなあ、と思うほどアクセントを置きながら延ばし、最後の「フォ」の部分は、水面上に上がってきた小さな泡が静かに消える様を想像しながらキュッと小さく結ぶのである。タルトゥーフォ。まごうことなきイタリアンですな。

アイスを半分に割ってみると、外見からは判断できない3層構造が現われる。真ん中のバニラアイスを包むようにチョコレートアイスが層をつくり、表面には苦味のあるココアパウダーがまぶしてある。この3層構造が何とも絶妙な味のハーモニーを産み出すタルトゥーフォは、世界三大珍味のひとつフランス語「トリュフ」のイタリア語にあたる言葉で、イタリア人アイスクリーム職人がトリュフの形を模して生み出したものだとか。濃い目のコーヒーとあわせると最高においしい。トロントでは、ジェラテリアはもちろん、イタリア料理店ではデザートメニューのひとつとして置かれているほか、スーパーなどでも手に入る。

トロントで食べるイタリアの味タルトゥーフォ(字余り)。

今が旬!の南国フルーツ: Mango/マンゴー

Mango

ここ最近のお気に入りフレーバーといえばマンゴー。シャーベットにも、ドレッシングにも、バスキン&ロビンズのボールド・ブリーズにも、他のフレーバーにはわき目もふらずマンゴー一筋。

カナダに来て、マーケットで箱入りのマンゴーを争うように買っている人たちを見ても、長い間、手をつけようとも思わなかった。それは、「マンゴー・プリン」の苦い思い出を心のどこかに引き摺って生きてきたからに他ならない。

今から十数年前のある夏の日、京都の明治屋で安売りにひかれてマンゴー・プリンなるものを買った。ストローが斜めについたパック牛乳風情の容器に入っていた。珍しいからと興味津々で買ったものの、帰宅して冷蔵庫に入れた後、数年の間すっかり忘れ去っていた。長年使っていないビン入り調味料やジャムの奥の方は、冷蔵庫所有者ですら見たくもない場所で、マンゴー・プリンは不幸にもそのクレヴァスにはまってしまった。

それから数ヶ月経った真夜中過ぎ、国文科の友人とレポートを仕上げたあと、「何か食べるものはないのか?」と言いながら冷蔵庫をゴソゴソしていると、マンゴー・プリンが現われた。国文科が「珍しいものがあるじゃない」といって、パックを空けてみると…。

そのトラウマを解消してくれたのが、フィリピン系の知人宅でいただいた、それはそれはジューシーなマンゴーだった。そのときの感動といったら! ひとくち含んだなかに、これほど複雑な味が秘められている果物は滅多にあるものではない。酸味、甘味、えぐみが絡み合い、口に入れた瞬間から喉元を降りていくまでに味わえる味の七変化に、心臓がドキドキしてしまう。それに、あの南国のオレンジ色、口のなかで溶けていく濃厚でまったりした食感も素晴らしい。こんなにおいしいものを何年間も見逃していたなんて! 今から考えると、この経験は、偏見(変色したマンゴー・プリン)が真実(マンゴーの素晴らしさ)をどれほど曇らせるかについての大きな教訓であったね。

切り方はいろいろあるらしいが、扁平な種が入っているから、種の両面に沿って3枚にナイフを入れるとよい。

食物繊維の宝庫: ブラン・シリアル/Bran Cereal

Bran Cereal
どうやら、多くの北米人はシリアル中毒らしい。数年前から北米の都市で爆発的人気を呼んでいる「シリアル・バー」(シリアルのテイクアウトのお店)のことを知ったとき、そう思ったね。お気に入りのシリアルに、フルーツやナッツなどのトッピング、1%ミルクや豆乳などのミルクから、各自お好みのシリアル・ボウルをつくるのだ。このシリアル・バー、大半の店舗がオフィス街にあることからしてもターゲットはプロレタリアートではない。トロントでは、ベイ・ストリートのスーツ族がオフィスにお持ち帰りしていると聞く。

なるほどね。北米スーパーのシリアル・セクションを見ると、カラフルな色、動物の形、キャラクターなどで子どもをターゲットにしていることは一目瞭然である。そして、こうしたものを子どものころから無意識に食べ続けた顛末としては夫がよい例である。朝はシリアルに始まり、夕食前に「ちょっと小腹が空いた」という時にも、真夜中にもシリアルを食べている姿が度々、目撃されている。

一方で、カナダのお金持ち層であるブーマーが年をとるにしたがい、メーカーも健康志向のラインを出すようになった。それにつられるようにして、長年、朝食はトーストと決まっていた私の朝食に「ブラン・シリアル」が登場するようになった。

茶色っぽい奇妙な形のブラン・シリアルは、ウィート・ブラン(wheat bran)と呼ばれる小麦のもみがらを主原料とするシリアルで、食物繊維の豊富さが何よりの売りである。何しろ、一食分(1/2カップ)に1日の食物繊維摂取量の52%が含まれているのだから、これほどあり難いことはない。

私がブラン・シリアルの箱を手にとることになったのは、それがLoblawsの「ブルー・メニュー」商品ラインだったからだ。「ブルー・メニュー」は、比較的健康的なものばかりだから、箱をひっくり返したりして、いちいち栄養価をチェックする手間を省いてくれる。味に関して言うと、やはり甘過ぎる感はあるものの、砂糖なしシリアルと半々にするとよい感じ。案の定、うちの北米猫も喜んで食べている。

ヌガーの原型では?: Halawa/ハルヴァ

ハルヴァ
Halawa。いやはや、どうカタカナ表記をすればよいものか…。レバノン出身のアクラムが発音すると「ハルヴァ」と聞こえるが、文字を見るとHalawaとなっている。ハラワかも知れない。ちゃんとした発音も知らずに数年間食べ続けてきたのだから困ったものだ。

仲良くしている友人がイラン出身とあって、彼女たちに招かれてイラン系のパーティーに行くのだが、その度に彼らのホスピタリティの厚さに驚嘆してしまう。最初、紹介された人たちに形式的に手を差し出していたが、誰も私の手を取らないで、首に抱き着いて両頬にキスしてくれるのだ(おかげで、パーティーの帰途は香水の香りでむせて気分が悪いんだけどね)。背筋を伸ばして紅茶をちびちび飲むパーティーとは、何という違いだろう!

それに、みんなが持ち寄った料理のおいしいこと! ナスやトマト、ほうれん草などを中心にしたキャセロール料理、串焼きのケバブ、サフランの香りをつけてお鍋の底部分をカリカリに焼いたサフラン・ライスなど、色取り鮮やかでダイナミックな料理のオン・パレードに、思わず「迷い箸」ならぬ「迷いフォーク」をしてしまう。

そんなパーティーに誰かが持ってきた「ハルヴァ」。初めて食べたときの感激は今でもよく覚えている。口中に広がる白ごまの芳醇な香り、舌の上でやさしく溶けるその食感、そして、キャンディーの粒子ようなサラサラとした舌触り…。それにしても何という濃厚な味! ひょっとしてヌガーの原型では? ヌガー(歯にくっつくキャンディーと言えば分かりやすい?)は、ヨーロッパ南部でとりわけポピュラーである。かつてヨーロッパ南部を支配した強大なオスマントルコ帝国の影響力を考えれば、中近東と南ヨーロッパがここでつながってもおかしくない…、という自説をパーティーで展開してみたが、誰もまともに取り合ってくれなかった。

ま、それは置いといて、このハルヴァ、白ごまペーストを使ったレバノンの伝統的スイートだとか。頭がどうかなってしまうんじゃないかと思うほど非常に甘いのだが、パーティーで供された濃い目の紅茶と相性ばっちり。写真はプレーンのものだけど、ピスタチオ入り、チョコレートとマーブルになったものが断然おいしい。

Tuesday, August 16, 2011

ポーランド産のコーヒー代用品ドリンク: クラクス 

クラクス/Krakus


思えば、私とコーヒーの付き合いは紆余曲折を経て、現在、クラクスへと落ち着いた、と言うことができよう。

以前は、毎日のように学食喫茶で軽く3杯はコーヒーを飲んでいた私も、いつしか世界中でコーヒーが搾取的資本主義、あるいはアンチ・グローバライゼーションの代名詞となってくると、それまでのようにふんぞり返ってコーヒーを飲んでいられなくなった。

「私たちが飲んでいる1杯2ドルのコーヒーのうち、コーヒー栽培者の手に入るのはわずか2セント」(ドキュメンタリー「ブラック・コーヒー」より引用)という言葉には、目を見開かれる思いがしたものだ。つまり、残りの利益はネッスル(いつもやり玉にあげて御免!)をはじめとする巨大企業のポケットにまるごと入ってゆくのである。さらに、コーヒー輸入国および生産国の対比は、南北問題を象徴しているかのように、「輸入国(アメリカなどの先進諸国)VS. 生産国(南米やアフリカ諸国などの発展途上国)」という構図を作り上げる(ちなみに日本は輸入国3位)。それで、少し高くても栽培者に公正な利益が還元される「フェア・トレード(公正取引)」システムもでき、私もしばらくはこういったコーヒーを飲んでいた。

一方では、年を重ねるにつれ、健康に対する配慮もでてくる。ひどい偏頭痛持ちなので、神経系に直接関係がありそうなポリフェノールやタンニンの入ったコーヒーに疑惑の視線を注ぎ(素人知識なのだけれどね)、同時にコーヒーに関する科学的データのはなはだしい矛盾が気になり始めた(例:コーヒーは心臓発作の原因となると聞いた数ヶ月後には、肝臓病の予防に効果があると聞く)。

そして、チェコに暮らした経験のあるケベック人ジュリーとの出会いが、私をクラクスへと導くのである!「東ヨーロッパにはコーヒー代用品なるものがあるのよ」。見た目はインスタント・コーヒーだが、原材料は焙煎した大麦、ライ麦、チコリ、ビーツの根…と健康によさそうなものばかり。焙煎した味も滋味ゆたかで、おまけにカフェイン・フリー。「コーヒーをやめたしと思いつつやめられず(字余り)」といった人だけのものにしておくのは、もったいないドリンクだわと、日々、愛飲している。

穀物を噛みしめる : ひき割り小麦/Bulgur

ひき割り小麦/Bulgur

 週に1度、我が家の食卓にのぼる「ひき割り小麦のパエリア」(写真)。手持ち料理の少ない夫が週1度の料理(必須)で作るメニューである。なぜか私の辞書に見当たらないのだが、bulghurと綴る。粗目糖によく似た小麦色で(小麦だから当然か)、光に透かすと透明感があり、まるで結晶のように美しい。
 名前だけは料理の本で知ってはいたが、なにしろ日本人。それまで、ひき割り小麦を見たことのなかった私は、興味津々で夫が料理をするのを横から見ていたものだ。玉ねぎをソテーし、適当に切った野菜やひき割り小麦をじっくり炒って、スープストックを入れたらふたをして火が通るのを待つ。調理時間わずか20分ほど。「まあ、パエリアに似た調理法だわね」ということで、「ひき割り小麦のパエリア」命名と相成ったのである。
 なるほどね、パエリアは魚介類、ひき割り小麦のパエリアは野菜を使うが、いっしょに煮込む素材の味を淡白な穀類に移すわけね。
 そのポイントさえ分かれば、こっちのもの。あとは、想像力と独自性、それから失敗を恐れない勇気があれば、いろいろなアレンジのアイデアが湧いてくる。野菜のほかに、あさりを入れてはどうだろう? サフランを入れてはどうだろう? ナッツ類はどうだろう? かくして、今では私の隠し味はスプーン一杯ほどのトマトソースとパセリに落ち着いている。夫の場合はソテーしたマッシュルームとおしょうゆ(ちょっと入れすぎなんだよね)。
 「最近のフードはどれもこれも柔らい」と言われて久しい。パンもパスタも麺類も、噛む必要がないくらいに柔らかくなっていく。穀類でも何でも精製して作るプロセスフードが幅をきかせているからに他ならない。もとより噛み応えのあるものが好きな私は、アルデンテに調理したひき割り小麦を噛みしめるたびに、その奥行きのある味わいに感じ入ってしまう。ゴツゴツした自然の味、やわらかな甘さが口に広がると、「これぞ、大地のフードだわね」と思わずにはいられない。
 ひき割り小麦は、自然食料品店などで手に入る。

春野菜を食べよう! :ダンディライオン

ダンディライオン/Dandelion

春になると青い野菜をモリモリ、バリバリ食べたくなる。そして、菜の花、かぶ、、春キャベツ、たけのこといった旬の野菜がかご盛りで並び、ごくごくシンプルに料理しただけで、大地のエネルギーを摂取できた日本の食生活をなつかしく思ったりもするのもこの頃である。


野菜に関していえば、1年を通して季節感がほとんど感じられないここトロントだが、この時期、「春野菜」らしき野菜が出まわっていることにお気づきだろうか。「春キャベツ」とは言えないまでも、いつもより柔らかく水分を含んだキャベツ。あるいは、サッカー部員の足のような頼り甲斐のある、極太で短いアスパラ。以前ご紹介したビーツの葉も厚みを増してくる時期である。

これらの「春野菜」のなかでも、数年前から私のベストワンといえば、ダンディライオン。ダンディライオンとは、そう、タンポポのこと。小学校で飼っていたうさぎのリリーに、タンポポの葉を見つけてきては金網の間に押し込んで、リリーの口に小刻みに消えていく葉っぱをうっとり見ていた私としては、「タンポポの葉を食べるなんて、うさぎみたい!」と思って数年間は敬遠していた。しかし、あるとき、知人宅でダンディライオンのサラダ(アンチョビ・ドレッシング和え)をごちそうになってからというもの、この苦々しくてとっつきにくい野菜が大のお気に入りになった。単なる雑草だと思っていたダンディライオンがハーブの一種であり、健康指向の人たちの間で人気だということも初めて知った。あの青々しい葉っぱを「良薬は口に苦し…」とか何とか言いながら食べていると、自らの健康とウェルビーイングに多大な貢献をしているような気がして、とっても気分がよいのも事実である。

北米では、ダンディライオン・サラダのほか、スープにしたり、黄色の花の部分をフリッターにしたり、軽くソテーにしているらしい。私がもっぱら好きなのは、「菜の花の白和え」ならぬ「ダンディライオンの白和え」。ダンディライオンはたっぷりのお湯で1分ほどゆでて、冷たい水にさらす。炒りたての擦りごまと調味料で味付けし、お豆腐を崩し入れる。それを全部和えるだけ。しかし、あの苦味のおいしさは子どもだったら分からない。フライパンに油をひいて、玉ねぎとガーリックのみじん切りを入れて香りを出し、軽くソテーすれば、万人受けする一品となることだろう。

エーゲ海の白壁のような…: フェタ・チーズ/Feta Cheese

食べ物への執着いまだ断ち難し。

そんな私にとって、たとえば数年間、日本に帰ることを考えたとき、厄介ごとのひとつは、今ある豊富なチーズのバラエティを失うことだろう。もちろん、デパートの地下食なんかに行けば、輸入チーズが手に入るだろうが、「選ぶのが億劫だこと」と思わせてくれるほどの種類はない。乳製品がおいしいことは、ヨーロッパ食文化の特徴だと思うし、酪農国でない日本でそれを期待するのは無理というものだろう。

そう、それに伴ってグリークサラダを失うことは大きな恐怖である。

あくびが出そうな昼下がり、野良猫たちが真っ白な塀の上で眠りこけているアテネのタベルナ。そこで出されたグリークサラダは、無造作にザク切りした真っ赤なトマト、オニオンスライス、そして黒光りするオリーブ、そして真っ白なフェタだけのシンプルサラダだった。テーブルのうえのオリーブオイル、ヴィネガー、それにオレガノをかけただけのドレッシングで食べると、地中海文化の一面を垣間見た気がした。以来、私はフェタの大ファンとなり、グリークサラダは私のお得意サラダのひとつとなっている。

山羊のミルクから作られるチーズ、フェタは、淡白な風味としょっぱさが特徴。手でボロボロっと崩れるほど水分を多く含んでいて、デリではお豆腐のように水をかぶった状態で保存される。ちなみに、一度だけやむを得ずプラスチック容器に入ったフェタを買ったことがあるが、あれはまずかったね。フェタにはプラスチックの匂いが移っていて、科学物質の匂いに敏感な私などは頭がクラクラしてきたものだ。

フェタといえば、2005年、EU司法裁判所がギリシアのチーズメーカーだけが「フェタ」という名前を使う権利を有する、という判決を下した。これを機に、トルコやルーマニア、マセドニアなどでフェタはもともと自国の発明品であるという主張が聞かれるようになった。しかし、長い歴史をもつ食べ物、ひいては文化というものは「国境」という定義が成立する前から作られていたはず。「フェタ」論争は、この事実を見落とすと、食べ物論議がナショナリズムと結びつき、危険かつ滑稽なものになっていく、という好例だったと思う。

フェタを食べるたびに、ギリシアへの旅の風景が心のなかを横切っていく。

ダンプリング類ヨーロッパ科?: ピロギ、ペロギ/Perogies

昨今では「グローバライゼーション」という言葉なしでは国際問題は語れなくなっている。厳密な意味でのグローバライゼーションは19世紀に始まったとされるが、世界各地の文化は実は古代からつながりあっていたという主張もある。

まったく当然だと思うね。文化間に見られる食の類似性を考えてみるといい。たとえば、世界中で愛されている麺。麺の起源をめぐる議論は有名で、「パスタは13世紀にマルコ・ポーロが中国から持ち返ったもの」とする中国側と、それに反論するイタリア側とのあいだにヌードル論争が続いていた。しかし、昨年10月には中国北西部で4000年前の「世界最古の麺」が発見されたことから、(今のところ)中国の麺に軍配があがっている。

その他にも、私たちも大好きな中国の餃子に似たフードがユーラシア大陸にはいくつも存在する。チベットには「モモ」という餃子があり、ヤクの肉を使うことを除けば中国の餃子と何ら変わりない。また、ロシアには野菜や肉を詰めたピロシキという揚げパンがある。さらに、イタリアに下りればラビオリがあるし、東ヨーロッパには、そう、「ピロギ」がある。今回取り上げるこのピロギは、「小麦粉ベースの皮で具を包む」という共通性をもつダンプリング類のひとつである。

ピロギ(ペロギとも聞こえる)は、小麦粉と牛乳、卵をこねた生地にマッシュポテト・ベースのフィリングを包んで調理したポーランドの国民的フード。じゃがいもだけだと味が淡白なので、チェダーチーズやベーコン、ソテーしたオニオンやマッシュルームなどを入れてアクセントを加える。餃子と同じようにゆでただけでもよいし、さらにバターをひいたフライパンで焼き色をつけてもよい。サワークリームといっしょに供すとなおよい。

簡単そうなので自分で作ってみたが、生地をこねるところから始めると案外と時間も労力もかかるうえ、できあがったピロギは巨大化してしまった(…と、素人が作ると巨大化するところまで餃子と似ているではないか)。そのうち、ポーランド系スーパーや大手スーパーで安価な冷凍ピロギを見つけて、ときどき買うようになった。しかし、炭水化物一色のフードなので食後がとにかく眠い。よって、退屈な映画や面接の前のランチにはおすすめしない。

ネーミングにグッときたね: バターミルク/Butter Milk

ワオ。このネーミングには、乳製品に目がない私は参ったね。バターのごとくに濃厚なミルクなのか?あるいは、味覚糖の「バター飴」のような甘いミルクなのか?

日本でよく読んでいた(けれど、作っていたわけではない)洋書の料理本には、よく「バターミルク」が材料として挙げられていた。どんなものか分からないまま、想像だけが膨らんでいたある日、アメリカの料理本に「手に入らない場合は、牛乳に酢を混ぜたもので代用できます」とあるのを読んで、まさかと思ったものだ。牛乳に酢ですか? でも、名前が…。

カナダに来てはじめて夫の両親の家に行ったとき、冷蔵庫のなかにバターミルクを見つけた。義父に味を尋ねると、「ヨーグルト・ドリンクみたいな感じだね」と言う。グラスのなかにぼってりと注がれる濃厚なミルクは、見るからにおいしそう。はじめて口に含んだバターミルクは、想像していた味とは違い、すっぱかった。「ちょっと、これ、くさっていませんか?」と聞きたいところだったが、「牛乳に酢を混ぜたもので代用できる」のなら、この味で間違いなかろう、と思い直した。

しかし、何かとてもなつかしいのはなぜ? ふと思い出したら、私が大学生のときによくやっていた、ビフィダス・ヨーグルトと生協牛乳を混ぜ合わせたドリンクと、ほとんど同じ味ではないか。(ちょっと個人的過ぎましたね、)分かりやすく言うと、甘さのない「のむヨーグルト」を濃厚にした感じとでも言おうか。

それもそのはず、原料は「牛乳、塩、バクテリア」。ヨーグルトの原料が牛乳とバクテリアであることを考えれば、なんだ、やっぱり私のと同じじゃない。義父によれば、牛乳を攪拌してバターを作る時にできるのがバターミルクらしい。

「バター飴」の幻想をキッパリ捨て、ヨーグルト・ドリンクだと思って飲みはじめると、このうえもなく爽やかな風味にはまってしまった。パッケージに書いてあるようにカロリーはゼロだしね。さらに、マフィンやバナナケーキ、パンケーキといったお菓子作りに用いると、まろやかな味に仕上がって重宝する。

すっぱくて濃厚なバターミルク。今では私にとって必携のドリンクである。ただし、比較的味にこだわりのない夫が絶対に手をつけないことから察するに、好き嫌いがハッキリ分かれることも付け加えておこう。

フルーツのような食感の野菜: ビーツ

これをゆでてマリネしたものをお弁当箱から食べていると、ビーツを知らない人たちはギョッと驚く。


「ちょっと、何を食べているの? 真っ赤なジェリー?」

たしかにね。こんなきれいな赤色の野菜なんて、そう滅多にあるものではないものね。このビーツは、ほら、ロシアの伝統的料理ボルシチやポーランドのグーラッシュを赤く染める、その当の根菜でありまする。ロシアや東欧の料理はビーツがなくてははじまらないとも聞く。ドストエフスキーの小説に出てくるような極貧農民にとっては、固い土地でも育ち、貧しい人に不足しがちな糖分を多く含むビーツは、救世フードであったに違いない。

今はどうか知らないが、私が日本にいたころは、新鮮なビーツは手に入らなかった。缶詰がせいぜいだった。カナダではスーパーはもとより、日保ちがよいビーツはコーナー・ストアでも入手できる。

スーパーといえば、あるときレジ係の人から唐突にも、「あなた、この葉っぱをどうしている?」と、尋ねられたことがある。手には私が買おうとしていたビーツが握られている。「捨てますね」と私が言うと、彼女は向こうにいた夫をチラと見て、「賢い主婦なら、葉っぱは野菜スープやシチューに入れなさい」と私に言った。見ず知らずの人から「賢くない主婦」であると示唆されるだけでもカルチャー・ショックであったが、それまで邪魔者扱いしてきた葉っぱが食べられると知ったのも、それに輪をかけるようなショックであった。

さて、ビーツを茹でるときは、どの料理本にも書かれてあるように丸ごと茹でるのがいい。そうすると、ブリーディング(まるでホラー映画の登場人物のように両手が真っ赤になる状態)が避けられるし、皮もスルスルとむける。マリネ液がよく染み込むよう、ごくごく薄くスライスしたら、オリーブオイルとワインビネガー、オレンジジュース(ストレート、100%のものを使ってね)を混ぜたマリネ液につけこもう。よく洗ったベビースピナッチのうえに、真っ赤なビーツ、クランベリーなどを乗せ、マリネ液をかけてサラダにすると、味と栄養は去ることながら、色合いも見た目も申し分ない。

あの、フルーツを食べているようなビーツの食感は筆舌に尽くしがたい。甘くて柔らかく、すっぱいビネガーと組み合わせると甘さに奥行きが出て、何だかすばらしく特別のものを食べている、特別の人になったような気がするのだ。

まったりした至極のスプレッド: ババガヌージュ(Baba ganouj)


Baba Ganouj
今回は初回ということで、大好きな中近東料理について書いてみよう。日本では中近東料理なんて食べたことのなかった私だが(だいたい、そんなレストランは見た覚えがない)、今ではクッキング・コースを取ろうかと思うほど中近東料理への思いは深刻化している。中近東料理のすばらしさを一言で言うならば、ナスやオクラといったどこにでもある野菜を、トマトペーストやハーブ、スパイスをふんだんに使うことで、奥行きのある極上の一品として仕上げることだと思う。

その最もよい例がババガヌージュである。「近頃、ヤッピーなパーティーに行くと、これが必ずアペタイザーとして出されている」と言われるように、ここ数年トロントのヒット商品として、大手スーパーでも簡単に手に入るようになったババガヌージュ。材料は、ナスとタヒーニ(100%ごまペースト)、オイル、ガーリック。ほらね、本当にどこにでもある材料であることがお分かりいただけるだろう。見た目は、まるでビーチの砂を固めただけのようだし、「ラベルのババがちょっとあやしい」などとあなどってはいけない。

とにもかくにも、ババガヌージュを一口ふくんでみてほしい。そのまったりとした食感はまるでベルベットのよう。味はといえばスモーキーなナスの風味が幾層にも重なり、野菜とは思えない奥深さに「レバーのパテみたいだ!」と言ったフランス人もいたとか。とはいえ、材料と同様、作り方も至ってシンプルである。

ナスを丸ごとオーブンで焼いて、中身をマッシャーでつぶす。あとはタヒーニ、オイル、つぶしたガーリックを混ぜ込んでピュレーにするだけ。「なるほどね、だからほんのり焼きナスの味がするのね」と思われることだろう。野菜スティックやピタパンにつけてアペタイザーとしてもいいし、ライ麦パンにたっぷり塗り、グリルしたマッシュルームやカリフラワーなどをはさむと、売りに歩きたくなるほどグルメなサンドができあがる。